ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などの代表作で知られる女優の泉ピン子さん。
10代の頃に歌謡漫談家としてデビューした泉ピン子さんは情報番組のリポーターで注目を集め、その後は女優として映画やドラマに出演してきました。
2000年代からは女優業に加えて、バラエティ番組でのハイテンションのキャラクターや歯に衣着せぬ発言を交えたトークで人気を博しています。
泉ピン子さんは1989年、41歳の時に4歳年下の医師・武本重憲さんと結婚しました。武本重憲さんは都内でクリニックの院長をつとめる消化器内科医で、テレビ番組「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」にゲスト医師として出演するなど、メディア出演も豊富です。
泉ピン子さんが検査入院をしたときの担当医が武本重憲さんだったという、運命的な出会いを果たした2人。2025年現在は、泉ピン子さんは熱海の自宅、武本重憲さんは平日は都内の病院近くのマンションで生活し週末に熱海に通う、週末婚のような生活をしているそうです。
結婚の際、事務所に内緒で婚姻届けを提出して新婚旅行に出発するなど、驚きのエピソードが満載。また、結婚後には隠し子騒動、事務所独立の際の借金問題など様々な困難がありましたが、常に2人で乗り越えてきました。
この記事では、夫・武本重憲さんの勤務先、2人の出会いや現在までの夫婦関係、子供についても調べてみました。
この記事を読んでわかること
- 泉ピン子さんの夫・武本重憲さんは消化器内科で銀座のクリニックの院長!
- 武本重憲さんの経歴と、現在院長をつとめるクリニックの詳細と評判
- 泉ピン子さんと夫の出会いから結婚:事務所に内緒で入籍し新婚旅行へ!?
- 2025年現在は週末婚!泉ピン子さんが熱海での生活を選んだ理由と現在の夫婦の生活スタイル
- 結婚7年目の隠し子騒動と号泣会見の真実は?離婚しなかった理由も!
【画像】泉ピン子の旦那(医師)はどんな人?勤務先の病院はどこ?
泉ピン子さんの夫は医師の武本重憲さん。泉ピン子さんより4歳年下で消化器内科専門の医師です。久留米大学医学部出身で「癌研究会付属病院」に勤務したのち、2002年に銀座で「武本ホーム・ドクター・クリニック」を開業し、院長をつとめています。
武本重憲さんが医師としてのキャリアをスタートさせた「癌研究会附属病院(現がん研究会有明病院)」は東京都のがん診療連携拠点病院で、一般外来だけでなく臨床研究、健診まで行える総合病院です。武本重憲さんは大学院卒業後から約15年この病院に内科医として勤務しました。
また、テレビ番組「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」にゲスト医師として出演したり、泉ピン子さん主演のドラマ「女子刑務所東三号棟」の医療監修を行うなど、病院以外での活動も豊富です。
現在院長をつとめる「武本ホーム・ドクター・クリニック」は東京都銀座にあり、「対話」を重視した人間ドックの総合的なシステムを目指していて、健康診断後の医療・健康相談を大切にしているそうです。
検査入院の際の担当医と患者として出会った泉ピン子さんと武本重憲さんは、3か月ほどの交際期間を経て結婚しました。女優と医師という異色の組み合わせながらお互いに支え合い、温かい家庭を築き上げています。

医師としての専門分野と経歴
泉ピン子さんの夫・武本重憲さんは大分県出身で、泉ピン子さんより4歳年下の74歳(2025年10月現在)。福岡県久留米市の久留米大学医学部、久留米大学大学院を卒業しています。1982年に大学院を修了した武本重憲さんは、東京都豊島区池袋にあった「癌研究会附属病院」で内科医として勤務を始めました。
武本重憲さんの専門は消化器内科で、癌研究会附属病院で長年がんの研究や臨床経験を積んでいました。1990年には内科医長に就任して活躍をしていたそうです。泉ピン子さんとの出会いはこの病院に務めていたころで、検査入院で精神的につらかった時に支えられたことで恋愛、結婚につながったようです。
癌研究会附属病院は、1934年に日本初のがん専門病院として開設しました。病院と研究所が同じ敷地内にあることで、基礎研究と臨床研究を一体化させることで最先端のがん治療の確立に取り組んできました。
2005年に東京都江東区有明に移転し、2025年現在は「がん研究会有明病院」と改称しています。東京都のがん診療連携拠点病院のひとつで、臨床研究、外科から内科までの外来・入院診療、検診センターの他に緩和ケア病棟もあります

勤務先病院の場所と評判
武本重憲さんは2002年に東京都中央区の「武本ホーム・ドクター・クリニック」を開業し、2025年現在も院長をつとめています。クオリティー・オブ・ライフの向上のために、健康診断とその後の医療・健康相談を大切にしているクリニックです。
武本ホーム・ドクター・クリニック基本情報
- 所在地:東京都中央区銀座3丁目10-6 マルイト銀座第三ビル10F
- 診療科目:一般内科/消化器内科/会員制人間ドック/各種健康診断
- 公式HP:https://www.dr-takemoto.jp/index.html
武本ホーム・ドクター・クリニックの特色
- 人間ドックの結果をもとに、信頼できる専門医と丹念に「医療・健康相談」を行うことができる。
- 古い時代の「かかりつけ医」に代わる新しい担当医制度を「ホーム・ドクター制度」と名付け、「予防医療」を中心に健康維持・管理を行っている。
武本重憲さんは医師として評判が非常に高く、次のような口コミがありました。
よしもとブレストクリニック 吉本賢隆医院長
「消化器の専門家である武本先生は、人柄も優れています。とにかく内視鏡が痛くないので、私も定期的に診ていただいています」
引用元:東京ドクターズ
武本ホームドクタークリニックは、検査の仕方や結果について親切な説明をしてくれるので、患者さんに対して良質なサービスを医師が提供していると感じます。診察や検査を受けた満足度が、高いと思われますよ。
引用元:レバウェル看護
公式HPによると院内も清潔で落ち着いた雰囲気で、ゆったりとした気分で受診できるのも魅力ですね。

泉ピン子さんとの関係性に見える“支え合い”
1989年に結婚した泉ピン子さんと武本重憲さん。芸能界の第一線で活躍する泉ピン子さんと、癌研究会附属病院に勤務する医師の武本重憲さんは共に多忙で、協力し合いながら家庭を築いたそうです。
結婚当初は泉ピン子さんが「私が妻としての役目を出来るだけ完璧にこなそうと思ってしまった」そう。家事の協力を申し出た武本重憲さんを突っぱねてしまったこともあったようですが、現在は買い物や洗い物を手伝ってくれると出演したテレビ番組で語っていました。
一方で泉ピン子さんは料理には自信があり、一度もレトルト食品を出したことはないそうです。また、泉ピン子さんはインタビューで夫・武本重憲さんの良さについて次のように語っています。
私が何かグズグズ言うたびに、「生きてさえいれば、どうにでもなる」 「何を置いても、健康がいちばん」と、能天気な言葉をかけてくれます。そんなときしみじみと私は、「やっぱり結婚してよかったのかもしれない」なんて思うのです。
引用元:FRaU
悩んだ時に前向きな言葉をかけてくれるのは、本当にありがたい存在ですね。医師である夫から「健康がいちばん」と言われるのはとても説得力がありますね。
ゆい武本重憲さんはとても誠実で信頼できる方みたいだね。武本重憲さんはどうして泉ピン子さんと結婚しようと思ったの?
たくみ「この人に花嫁衣裳を着せてあげたい」と思ったからみたいだよ。とてもロマンティックだね。
【画像】泉ピン子と旦那の年収は?生活ぶりも気になる!
泉ピン子さんと夫・武本重憲さんの年収はどれくらいなのでしょうか?また、現在はどんな生活をしているのでしょうか?
一般的に内科の開業医の平均年収は、2000万円から3000万円だと言われています。勤務経験や専門医資格によりさらに高額になることもあるそうです。武本重憲さんの年収は公表されていませんが、経営する「武本ホーム・ドクター・クリニック」は銀座にあり、会員制の人間ドックなども行っていることから年収は平均よりも高いと思われます。
また、泉ピン子さんの年収については「8万円ほどの年金のみ」という情報もありました。ただ、長年芸能界の第一線で活躍ている泉ピン子さんにはある程度の貯蓄があると思われます。
泉ピン子さんは長年生まれ育た東京都に住んでいましたが、2025年現在は静岡県熱海市の、斜面沿いの高級マンションに住んでいます。熱海を選んだのは母と慕う脚本家の橋田壽賀子さんに誘われたからだそうで、2010年頃に転居しました。
一方、銀座のクリニックで院長をつとめている夫の武本重憲さんは、当初は早朝に家を出て、熱海から銀座まで通っていました。70歳を超えた現在は、普段は銀座のマンションで生活し、週末だけ熱海に戻る週末婚のようなスタイルで生活しているそうですよ。

自宅はどこ?生活スタイル
泉ピン子さんは以前は東京都内のタワーマンションで生活していましたが、2010年頃に生まれ育った東京から静岡県熱海市に転居しました。正確な住所は公表されていませんが、斜面沿いに建つ高級マンションに住んでいるという情報がありました。
泉ピン子さんが住み慣れた東京から静岡県熱海市に転居したのは、脚本家の橋田壽賀子さんの影響です。橋田壽賀子さんは泉ピン子さんの代表作である朝の連続テレビ小説「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」の脚本家で、泉ピン子さんがお茶の間に広く知られるきっかけを作りました。橋田壽賀子さんは1980年代後半から熱海市で暮らしていたそうです。
泉ピン子さんは橋田壽賀子さんのことをママと呼び、プライベートでは一緒に旅行するほどの仲でした。また、2021年に橋田壽賀子さんが熱海の自宅で亡くなった際には、同じ熱海在住の泉ピン子さんが看取ったとも言われています。
熱海に転居した当初は、夫の武本重憲さんは早朝家を出て銀座の「武本ホーム・ドクター・クリニック」まで通っていたそうです。70歳を超えた2025年現在は、武本重憲さんは平日は銀座のマンションで生活し、週末に熱海の泉ピン子さんのもとに帰る、週末婚のような生活をしています。

夫婦の金銭感覚・支え合い方
「武本ホーム・ドクター・クリニック」を経営している武本重憲さんと、女優として有名な泉ピン子さんの年収はどれくらいなのでしょうか?
一般的に、内科の開業医の平均年収は2000万円から3000万円だと言われています。武本重憲さんの年収は銀座という立地や、消化器内科の専門医としての経験から、平均よりも高いと推測されます。
また、泉ピン子さんの年収も明らかになっていませんが、テレビ番組によると過去のドラマ出演などのギャラ総額は推定50憶円にも上るそうです。ただ、そのお金の使い方については番組内で次のように語っていました。
一銭もない、使っちゃった。全てなくなったわね(中略)食べて、着て、宝石買って。おごってもらった人は西田(敏行)くんと神田(正輝)さんと舘ひろしさんしか、芸能人はいませんから。あとはみんな、おごったからね
引用元:Yahoo!News
また、1999年泉ピン子さんが52歳の時に、デビュー当時から所属していた事務所を独立した際には、3億円とも言われる借金を背負うことになりました。一流の芸能人としてのプライドが高かった泉ピン子さんはがむしゃらに働いて2,3年で完済したそうです。
この時期に生まれたのがクイズバラエティ「ぴったんこカン・カン」で生まれたバスガイドの「ぴったんこさん」というキャラクターです。コメディエンヌらしいオーバーなリアクションと辛口のコメントで人気者になりました。
一流芸能人の泉ピン子さんの金銭感覚は一般人とはかけ離れていますが、多額の借金を働いて返したことは努力の証と言えるでしょう。2025年現在は8万円ほどの年金が収入であるとも語っており、ある程度の貯蓄と夫・武本重憲さんのクリニックの収入で生活しているのかもしれませんね。

晩年に見える夫婦の絆
2025年で結婚36年を迎えた泉ピン子さんと武本重憲さん。泉ピン子さんは静岡県熱海市のマンション、夫・武本重憲さんは平日は銀座のクリニック近くのマンションで生活し、週末に熱海に帰宅するという週末婚のような形で生活しています。
このスタイルになってからの変化について、泉ピン子さんは「夫が食材の買い出しなどを手伝ってくれるようになった」とテレビ番組で語っていました。
自然豊かな熱海での生活をとても気に入っている泉ピン子さんですが、やはり買い物などは不便を感じることもあるそうです。長年、利便性の高い都心で生活していたのですから無理もないですね。泉ピン子さんは、最近の夫・武本重憲さんの変化について次のようにコメントしています。
「医師の夫は、平日は東京のクリニックで働いて、週末になると熱海に帰ってくるのですが、そのときに都内のデパ地下へ寄って食材を買ってきてくれるように。それまで夫はまったく家事をしないタイプだったので、これは大きな変化ですね」
引用元:ESSE online
買い物を手伝ってもらうようになってから夫婦の関係性もよくなったと語る泉ピン子さん。最近は家庭菜園で採れた野菜で自家製のぬか漬けを作って食べているそうですよ。

ゆい泉ピン子さんは熱海での生活をエンジョイしているみたいだね!他にはどんなエピソードがあるの?
たくみ泉ピン子さん自身が仕事で東京に行った際も、たくさん買い出しをしてくるみたい。自宅には冷蔵庫が3台もあり、食材が一通りそろっているみただよ!
【画像】泉ピン子と旦那の出会いは?馴れ初めを時系列で紹介
泉ピン子さんは1989年、検査入院をしたときに担当医だった武本重憲さんと出会いました。その時の印象を次のように語っています。
病院で出会ったの。白血球の数値がすごく高くて、私。あるとき白血病かどうか調べることになって検査入院したのよ。その時、なんというか……心の隙間に入り込まれた(笑い)。
引用元:朝日新聞
その後は交際3か月でプロポーズ、結婚することになりました。ただ、当時は出演するドラマが軒並み高視聴率を記録する一流の女優と一般人の医師との結婚は容易ではありませんでした。
入籍日は1989年7月29日、実は泉ピン子さんの2週間の夏休み開始の前日だったそうです。事務所にもマネージャーにも内緒で婚姻届けを提出し、その後新婚旅行に出発しました。新婚旅行先ではハードスケジュールと時差ボケで険悪になることもありましたが、夫の優しさに触れ、帰国しました。
帰国後は、成田空港で記者会見を行ったり事務所や武本さんの両親に怒られたり大変な思いをしたそうです。その時のことを次のように語っています。
会見は私一人でなんとか乗り切ったけれど、 顔出しNGという約束だった夫にも、容赦なくカメラやマイクが向けられました。そのとき夫は初めて、「あ、しまった、大変なことをしてしまった」と思ったそうです。
引用元:FRaU
本当にドラマのようなエピソードですね。その後はお互いに多忙ながら支え合い、穏やかな家庭を築きました。
ゆい泉ピン子さんが結婚を決意したのは、どうしてなの?
たくみ実は、ママと慕う橋田壽賀子さんには結婚を反対されたみたい。でも、親交の深い俳優の西田敏行さんに後押しされて結婚を決めたんだって!
【画像】泉ピン子に子どもはいる?家族構成まとめ
泉ピン子さんと武本重憲さんの間には子供はいません。結婚したのが泉ピン子さん41歳、武本重憲さん37歳の時で、お医者様に診てもらったこともありましたが、子宝には恵まれなかったそうです。
ただ、「泉ピン子 子供」と検索すると「隠し子騒動」というキーワードが出てきます。実は、武本重憲さんが不倫をし、不倫相手との子供を認知しているそうです。
隠し子騒動は結婚6年目の1995年、週刊誌で夫の武本重憲さんが不倫をし、子供がいると週刊誌報道がありました。この時に泉ピン子さんは会見を行い、号泣しながら「浮気したことは許します」「離婚はしません」と表明したそうです。この騒動のあと、武本重憲さんは不倫相手との子供を認知しました。
泉ピン子さんが行った会見は号泣会見とも呼ばれ、賛否両論を引き起こしました。この会見は脚本家の橋田壽賀子さんの「シナリオ」で行われたという情報もあります。浮気を許す健気な妻という演出でしたが逆に反感を買いバッシングにあったそうで、この演出は失敗だったとコメントしていました。
離婚しなかった理由については次のように語っています。
彼は、私のよき理解者だからです。(中略)他の女性のところに行ったのは、私が仕事を優先して寂しい思いをさせてきたせいでもあるんです。夫と仕事、どっちを選ぶかという時に、仕事を選んできましたから。(中略)生まれ変わっても私と結婚したいと言うのよ。そんな人です。
引用元:Yahoo!News
色々なトラブルを乗り越えたからこそ現在のいい関係性があるのでしょうね。これからも仲良く生活していってほしいと思います。
ゆい朗読劇「すぐ死ぬんだから」では、同じように夫の裏切りを知る妻を演じて話題になったね。
たくみそうだね!内館牧子さんの原作を朗読劇にしたもので、自身の経験と重なることにも「私がやるしかない」とコメントしていたよ。元コメディエンヌの泉ピン子さんらしいね!
泉ピン子 プロフィール・SNS
- 名前:泉 ピン子 (いずみ ぴんこ)
- 生年月日:1947年9月11日
- 出身地:東京都中央区出身
- 国籍:日本
- 所属:pi企画株式会社
- 家族構成:夫(武本憲重)
引用元:pi企画株式会社






