俳優業に専念するために「フィギュアスケート」を辞めた「小芝風花」さん。
もう少し頑張ったらオリンピックに行けたかもしれなかったのに残念ですね。同期生として同じ大会に出ていたという「友野一希」さんや「山本草太」さんと同じリンクで練習していました。
小芝風花さんの実力は「バッジテスト7級」という、一般選手でもかなり高難度なレベルです。シニアの全日本選手権や国際大会に出場するために獲得しておかなければいけない「級」です。トップスケーターの多くが取得しています。
「浅田真央」さんや「羽生結弦」さんなど、有名選手と同じ「級」です!
「小芝風花」さんは西日本大会で8位になった経験もあるほどの実力者でした。そんなに前途有望な選手だったのに、なぜ芸能界を選んだのでしょう?
それには選手生命を脅かすケガと手術、軽い気持ちで受けたオーディションでグランプリに輝いたこと、スケートの練習と芸能界の仕事の両立が難しいこと、がありました。
最初は「スケートを辞める」ことを考えていなかった、という「小芝風花」さん。だんだん「どちらかに集中しないといけない」と思うようになりました。
「たくさんの人のなかから、選んでいただいている」という気持ちが芽生え、無責任なことはできないと考えたのでしょう。
芸能界の仕事に取り組むなかで少しずつ「この世界でやっていきたい」と、気持ちが固まっていきました。
この記事を読んでわかること
- 小芝風花が俳優業を選んだ理由
- 選手時代のケガ
- 芸能界デビューのきっかけ
- 10代に出演していた番組
- リンクメイトだった「友野一希」「山本草太」の成績と人柄
小芝風花はなぜフィギュアスケート辞めた?
大河ドラマ「べらぼう」で妖艶な「花魁(おいらん)」を演じた「小芝風花」さん。
小さい頃から活発で「器械体操」や「空手」など、スポーツの習い事をしていたそうです。運動神経が良いのですね。
小学3年生から中学2年までの5年間、冬季五輪を目指してフィギュアスケートに打ち込む毎日を送っていました。
全国有望新人発掘合宿に参加するほどの実力だったのです。この合宿には日本全国の8歳から12歳までの有望小学生スケーターが集められます。長野県の野辺山高原にて開かれる合宿なので「野辺山合宿」とも呼ばれます。
この合宿に参加した選手のほとんどが、日本でトップクラスのスケーターとして認知されているのです。芸能界に入らずにスケートの道を進んでいれば、オリンピックに選ばれていたことでしょう。
前途有望選手だったのに、なぜ、「やめた」のでしょうか。いくつか理由があります。
- 成長期の膝の故障
- 芸能界入り
- 活動の両立の難しさ
成長期の膝の故障:スポーツをしている成長期の子供が発症しやすい膝の疾患であるオスグッド・シュラッター病になってしまいました。とても痛いのです。練習ができなくなってしまうのがイヤで両ひざの手術をしました。
オスグッド・シュラッター病はこんな疾患です。骨の一部がはがれてしまうんですね。ホントに痛そうです。

入院中はギプスをしている状態です。退院した時は筋肉が落ちて足はかなり細くなっていました。
スケートができるまでに回復し、手術後に初めてリンクへ行った時は、ほかの練習生の親御さんから「たぶん復帰は無理だろうな…」と思われていたみたいだ、と本人は語っています。それくらい、筋力がなくなっていたのですね。
しかし、頑張って「3回転ジャンプ」も安定して跳べるようになります。素晴らしいですね。
芸能界入り:2011年、「イオン×オスカープロモーション ガールズオーディション2011」でグランプリを受賞!
きっかけはCMに出ていた「浅田真央」さんを見て「私もこんなCMに出たい」と言ったことでした。お姉様がそれを聞いて、オーディション雑誌を購入したのです。そして軽い気持ちで「イオン×オスカープロモーションガールズオーディション2011」に応募しました。家族全員で応援していたのですね。
まさかグランプリに輝くとは思っていなかったのでしょう。しかし輝いてしまいました。
活動の両立の難しさ:最初はスケートを辞めるとは考えていなかった「小芝風花」さん。グランプリ受賞が11月で、事務所の会長に「12月には上京してほしい」と言われたときも、「わかりました。よろしくお願いします」という感じで答えたそうです。
その当時は、シングルとアイスダンスをやっていたとか。「シングルを続けるのは難しくても、アイスダンスは東京のコーチに習えるといいな」と考えていました。
しかし思うようにはいかなかったのです。仕事をして、お芝居やダンスの練習が週6日くらい入っている生活。スケートの練習も毎日しなければならない競技です。現実の厳しさを感じたのですね。「どちらかにしないといけない」という気持ちがわいてきたのです。
「今日でスケート辞める!」と一気に決めたわけではなく、自分は「たくさんの人の中から選んでもらった」という気持ちが芽生えてきていました。
芸能界の仕事をしているうちに「この世界でやっていこう」と気持ちが少しづつ固まったとインタビューで語っています。
子役時代はどんな作品に出演していた?
子役と言ってもデビューしたのは15歳ですから、ほぼアイドルのような状態でしょうか。10代としますね。
10代の主な番組
- 息もできない夏
- スケート靴の約束〜名古屋女子フィギュア物語〜
- 魔女の宅急便
- あさが来た
2012年、「息もできない夏」で女優デビューした「小芝風花」さん。主人公の「武井咲」さんの妹役でした。
新人ながら火曜日の「9時枠」の連続ドラマに出演とは!有望視されていたのでしょう。
2013年、スケート靴の約束〜名古屋女子フィギュア物語〜このドラマは家族がひとつになり少女スケーターを支えていく過程を描いたものです。本領発揮!といったところでしょうか。主人公(本田望結)のライバル役として出演しました。
2014年、初主演映画「魔女の宅急便」でスクリーンデビュー。
この映画で第57回ブルーリボン賞・新人賞、第24回日本映画批評家大賞・新人女優賞を受賞しました。
2016年、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」でヒロインの「波留」さんの娘役として出演しています。知名度アップしましたね!
知りたいくんフィギュアスケートならお手の物、って感じで演技できたんだろうね
教えたいさんそれが、「有望視されている選手の役なのに、現役の滑りができない」って葛藤があったんだって。
小芝風花のフィギュアスケート同期は友野一希や山本草太!
小芝風花さんのフィギュアスケート時代を語るうえで欠かせないのが、同期として一緒にリンクで汗を流してきた友野一希さんと山本草太さんの存在です。3人は大阪・堺エリアの同じリンクで幼い頃から練習を共にし、鬼ごっこや雪だるま作りで遊ぶ時間も分かち合ってきた“幼なじみ仲間”です。現在は、小芝風花さんが女優として、友野一希さんと山本草太さんが男子フィギュア界のトップスケーターとして、それぞれ第一線で活躍しながら、今も互いを刺激し合う関係性を続けています。
この記事では、小芝風花さんと同じリンクで育った「同期男子」2人がどんな人物なのか、ジュニア時代から現在までの成績やエピソードを整理しながら紹介します。幼い頃から同じ時間を共有してきたからこそ見えてくる、3人の距離感や“戦友”としてのつながり、そしてこれから迎えるであろうオリンピックシーズンへの期待までを分かりやすくまとめていきます。
友野一希はどんな人物?
友野一希さんは「小芝風花」さんとは幼なじみです。同じリンクで練習し、同じコーチから指導を受けていたのです。2人とも大阪府堺市出身です。同じ「市」でも学校は違ったでしょうが、練習を通して毎日会う「仲間」という関係性です。
そして、サウナや古着屋巡りが好きで、ファッション誌の連載も持っているという意外な一面も。 サウナには「山本草太」さんとよく一緒に行くそう。「山本草太」さんとはお互いを「リスペクト」し合う仲です。
友野一希さんは、スケートをしていたお母様の影響もあって、4歳からスケートを始めました。
ジュニア時代を、町田樹(ソチオリンピック5位入賞)(現在はスポーツ科学者として國學院大學の准教授になっておられます)さん、「山本草太」さんと達と大阪府立臨海スポーツセンターで過ごしています。厳しい指導で知られる平池大人(ひらいけたいじん)コーチの指導を受けました。
ジュニア時代は「ジャンプ」が苦手で習得するのに時間がかかったそうです。そのためジュニアグランプリシリーズになかなか進めない苦労もありました。
2016年に「世界ジュニア選手権」に出場しました。この時の成績は15位です。このことから「世界に通じる選手」を意識するようになりました。そして実力を磨いていったのです。
近年では全日本選手権 (2024年)で5位、四大陸選手権 (2025年)で4位と好成績を残しています。バンクーバーオリンピック銅メダルに輝いた「高橋大輔」さんが憧れの選手という友野一希さん。
「小芝風花」さんは「友野一希」さんや「山本草太」さんと「よく一緒に遊んだ」と言っています。「練習の休み時間に『鬼ごっこ』をしたり『秘密基地』を作ったり、『雪だるま』を作って遊びました。」と話しています。
毎日練習に明け暮れていると学校や近所の友達と遊ぶ時間がなかったことでしょう。ほんのひと時でも「友達と遊ぶ」時間は貴重だったでしょうね。
山本草太はどんな人物?
「山本草太」さんも「小芝風花」さんとは幼なじみです。同じ大阪府の出身で「小芝風花」さんと同じリンクで練習していました。「小芝風花」さんのほうが3つ年上です。練習の合間に「鬼ごっこ」「雪だるま作り」などをして遊ぶ間柄でした。
スケートのバッジテスト7級も同時期に取得しています。子供ながらも「切磋琢磨」しあう関係だったのです。
ジュニアグランプリファイナルで2年連続表彰台、リレハンメルユースオリンピックで金メダル、初出場の世界ジュニア選手権で銅メダルなど、前途有望視された選手でした。平昌オリンピック日本代表の有力候補だったのです。「羽生2世」と呼ばれることもありました。
しかし、突然の不運が襲ってきます。2016年3月、世界ジュニア選手権への出発当日の練習中に3回転アクセルで転倒、右足首を骨折してしまうのです。なんということでしょう!しばらく競技から遠ざかりました。
この時、ピンチヒッターとして「友野一希」さんが出場します。
2017年5月、氷上練習を再開。実戦にも復帰します。ケガをするまで、当たり前のように思っていたという「全日本選手権出場」に対して「出場できることが幸せなこと」だと感じている、と言っています。成長していますね。
近年の成績はネーベルホルン杯 (2024年)で優勝、グランプリシリーズ スケートカナダ (2025年) で4位、と好成績です。
ぜひ、親友の「友野一希」さんと一緒にミラノ・コルティナダンペッツォ冬季オリンピックに出場してほしいものです。
知りたいくん仲良しだから大学も一緒なのかな?
教えたいさん友野一希さんは同志社大学卒業よ。山本草太さんは中京大学卒業なの。
同じ大会で出会ったりすることが多かったみたいね。
小芝風花のプロフィール・SNS
プロフィール
- 名前:小芝 風花(こしばふうか)
- 本名: 同じ
- 生年月日:1997年4月16日
- 年齢:28歳(2025年11月現在)
- 出身地:大阪府
- 血液型:A型
- 趣味:編み物
- 所属事務所:トップコート
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/reel/DQnTqTpk_ei/
- TikTok URL:小芝風TikTok
- オフィシャルサイト URL:https://topcoat.co.jp/fuka_koshiba
知りたいくん小芝風花さんの編み物のきっかけって何なのかな?
教えたいさんピクミンの帽子がUFOキャッチャーの景品だったの。取ることができなかったから「作ってみよう」と思ったのがきっかけみたいだね!
小芝風花がフィギュアスケートを辞めた理由と友野一希・山本草太との関係まとめ
- 小芝風花は小学3年生から中学2年までフィギュアスケートに打ち込み冬季五輪出場を目指していた
- 全国有望新人発掘合宿(野辺山合宿)に参加しバッジテスト7級を取得するなど全国有望選手として認知されていた
- 西日本大会で8位に入るなどシングル選手としても高い競技成績を残していた
- 成長期にオスグッド・シュラッター病を発症し両ひざの手術を受けるほどの重いケガを経験した
- リンク復帰後は筋力低下を周囲から心配されながらも三回転ジャンプを安定して跳べるまでに回復した
- 2011年のイオン×オスカープロモーションガールズオーディションでグランプリを受賞したことが芸能界入りの転機になった
- お芝居やダンスのレッスンが週6日入る女優業と毎日練習が必要なスケートの両立が難しくなりどちらかに絞る必要性を感じるようになった
- たくさんの人の中から選ばれた自覚が生まれ無責任な態度は取れないと考えた結果俳優業に専念する決断をした
- 女優としては「息もできない夏」でデビューし「スケート靴の約束」や映画「魔女の宅急便」「あさが来た」などで実績と知名度を高めた
- 映画「魔女の宅急便」ではブルーリボン賞新人賞と日本映画批評家大賞新人女優賞を受賞し女優としての評価を確立した
- フィギュア時代は大阪府堺市のリンクで友野一希や山本草太らと同じコーチのもとで練習し鬼ごっこや雪だるま作りをする幼なじみの関係だった
- 友野一希は世界ジュニア選手権出場を機に世界を意識し全日本選手権5位や四大陸選手権4位など男子シングルのトップ選手として活躍している
- 山本草太はジュニアグランプリファイナル連続表彰台やユースオリンピック金メダルなどの実績を持ち大ケガから復帰後も国際大会優勝やグランプリシリーズ4位など好成績を挙げている
- 友野一希と山本草太は互いをリスペクトし合うトップスケーターとして現在も刺激し合い小芝風花とは分野は違っても第一線で頑張る戦友の関係を続けている
- 元フィギュアスケーターとしての経験と同期との絆を支えに小芝風花はこれからも女優として活躍の場を広げていくと期待される

