吉本新喜劇が誇る最強夫婦、内場勝則さんと未知やすえさん。二人の馴れ初めは、内場さんの「入院」時にやすえさんが毎日お見舞いに訪れたことでした。舞台では罵り合う二人ですが、実生活では未知やすえさんの脳動脈瘤手術を内場さんが支えるなど、固い絆で結ばれたおしどり夫婦です。
関西の土曜日のお昼といえば、吉本新喜劇。その中でも、「怖〜い」キレ芸で内場さんを震え上がらせるやすえさんの姿は、もはや伝統芸とも言える定番ですよね。あそこまで激しく罵倒し合っていると、ふと気になりませんか?
「家に帰ってもあんな感じなの?」 「本当に仲は良いの?」 「そもそも、どうやって結婚したの?」
実は、お二人の歴史を紐解くと、そこにはまるで一本のドラマのような深い夫婦愛が隠されていました。無口でシャイな内場さんが決めたプロポーズの言葉や、ネット上で囁かれる「離婚」の噂の意外な真相、そして一人娘の子育て事情まで。普段の舞台からは見えない、リアルな「内場家」の姿を徹底的にリサーチしました。
1万文字を超える本記事では、ただの事実紹介にとどまらず、病気を乗り越えてさらに深まった二人の絆について余すことなくお届けします。これを読めば、次にテレビで二人を見たとき、その喧嘩芸がもっと温かいものに見えてくるはずです。
この記事でわかること
- 入院生活がきっかけとなったドラマチックな馴れ初め
- シャイな内場勝則が放った意外なプロポーズの言葉
- 検索候補に出る「離婚」の噂と不仲説の真相
- 未知やすえを襲った脳動脈瘤と夫婦の闘病秘話
- 一人娘「早月さん」の現在と内場家の親子関係
内場勝則の入院が馴れ初め!未知やすえの献身愛とダウンタウン同期の絆
- 吉本新喜劇で出会った2人の経歴とNSC1期生同期の関係性について
- 入院中のお見舞いがきっかけで恋愛感情が芽生えた経緯について
- 芸人仲間公認のカップルとして交際から結婚に至るまでについて
出会いは吉本新喜劇!当初はお互い「恋愛対象外」
吉本新喜劇を代表するおしどり夫婦として知られる内場勝則さんと未知やすえさん。2人の出会いは、まさに「職場」でした。しかし、最初から恋愛感情があったわけではなく、むしろお互いを異性として意識していなかったというから面白いですよね。
内場勝則さんは1960年8月22日生まれの大阪市西成区出身。大阪NSC1期生として吉本興業に入り、なんとあのダウンタウン、トミーズ、ハイヒールとは同期なんです。
NSC卒業後は演劇ユニット「劇団インスタント」で活動し、1985年から吉本新喜劇の舞台に立つようになりました。普段は物静かで読書好きという意外な一面を持ち、同期の松本人志さんからは「ダッフルコートと文庫本は絶対手放さへん」と評されるほどだったそうです。
一方の未知やすえさんは1963年8月7日生まれの東大阪市出身。内場さんより3歳年下ですが、芸歴では1年先輩にあたります。
高校在学中に歌手志望として吉本興業に入り、1982年に漫才コンビ「やすえ・やすよ」を結成。若手漫才コンクールで新人賞を受賞するなど将来を期待されていましたが、1984年末にコンビを解散。その翌日から吉本新喜劇に入団するという、まさに怒涛の展開を経験しています。
新喜劇での2人は、内場さんの無口でシャイな性格と、やすえさんの明るく活発な性格という、まったく正反対のタイプでした。内場さんは舞台では高い声を出してはっちゃけるのに、家に帰ると人が変わったように無口で本ばかり読んでいるタイプ。やすえさんはおしゃべり好きで、コミュニケーションを大切にする性格。
当初は「恋愛対象として見ていなかった」というのも、この性格の違いを考えれば納得できますよね。舞台では恋人役を演じることも多かった2人ですが、プライベートでは純粋に「職場の仲間」という関係だったのです。
馴れ初めの決定打は内場勝則の入院と「毎日のお見舞い」
そんな2人の関係が大きく変わるきっかけとなったのが、内場勝則さんの「入院」でした。舞台の最中に体調を崩して病院に運ばれた内場さん。集中治療室に入るほどの状態だったといいます。
このとき、吉本側から「誰も行かへんから、お前行ってこい」と言われて見舞いに向かったのが、未知やすえさんでした。新喜劇50周年特番で辻本茂雄さんが語ったところによると、この出来事が2人の運命を変えることになります。
集中治療室から出てきた内場さんに、やすえさんは「大丈夫?」と声をかけました。すると、普段は「あまり泣いたことがない」という内場さんが、思わず涙を流したのです。内場さんは後にこのときのことを振り返り、「生まれたてのひよこが親を見たらそれと思うのと一緒で、かなり弱ってたと思います」と語っています。
弱っている自分に優しく声をかけてくれたやすえさんが、まるで天使のように見えたのでしょう。入院中に見舞いに来てくれたやすえさんに対して、「この人と結婚するんやろな」と感じたといいます。
このエピソードを知った末成由美さんが「私が病院に行っていればよかった」と悔しがったという話も有名です。それほどまでに、あの入院中のお見舞いは内場さんの心に深く刻まれた出来事だったのです。
ただし、内場さん自身は2022年の芸歴40周年記念会見でこう明かしています。「僕が口説かれたんですよ。(未知が組んでいた漫才コンビ)やすえ・やすよのどっちが『え』で『よ』かも知らなかった。向こうからガンガンきた」
やすえさんの方も、内場さんの男前ぶりに惹かれていたのかもしれません。当時は末成映薫さんに恋愛相談をしていたというエピソードもあり、2人の距離は確実に縮まっていったのでしょう。入院をきっかけに、お互いの存在の大切さに気づいた2人は、退院後すぐに交際を始めたのでした。
交際スタートから結婚まで!芸人仲間公認の愛
内場勝則さんと未知やすえさんの交際は、いわゆる「社内恋愛」でした。しかも同じ新喜劇の舞台に立つ者同士。周囲にバレないように気を遣う日々が続いたようです。やすえさんは後のインタビューでこう振り返っています。
「周りには内緒にしていたので、結婚を発表するまでは2人でどこかに行くこともなく、イチャイチャすることもできなかったので、結婚したら晴れて手つないで歩いたりできるものやと思って新婚生活はピンク色やとあこがれていたんです」
舞台では恋人役を演じながら、プライベートでは堂々と手をつなぐこともできない。芸人カップルならではの難しさがあったのでしょう。でも、だからこそ結婚したときの喜びは大きかったはずです。
1989年には「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」でリストラの対象となり、2人で漫才をするよう会社から指示を受けたこともありました。しかし2人は同意せず、結果として新喜劇に残留。
このとき、前年に脳幹出血で倒れ半身不随となっていた木村進さんが内場さんに電話で「おまえ、ツッコミええから、リストラみたいやけど、頑張れよ」と激励。この言葉で内場さんは新喜劇に残る決意を固めたといいます。苦しい時期を一緒に乗り越えたことで、2人の絆はさらに深まっていったのでしょう。
座員同士の結婚は、当時としては珍しいことでした。今でこそ吉本新喜劇では6組のカップルが誕生していますが、そのさきがけとなったのが内場さんとやすえさんなんです。1992年2月11日、2人は正式に夫婦となりました。内場さん31歳、やすえさん28歳のときでした。
ダウンタウンをはじめとする芸人仲間たちも、2人の結婚を温かく見守りました。やすえさんはダウンタウンの2人と同い年で、タメ口で話すほど仲が良く、「夕焼けの松ちゃん浜ちゃん」にも出演していました。今でも内場さん夫婦はダウンタウンと食事に行くなど、親交が続いているそうです。同期の絆は、何十年経っても変わらないものなんですね。
プロポーズの言葉は「結婚しよか」!1992年の挙式秘話
- ・シャイな内場勝則さんが放った飾らないプロポーズの言葉について
- ・1992年2月11日の結婚式と吉本芸人仲間たちの反応について
- ・座員同士の結婚という当時としては珍しい形について
シャイな内場勝則が決めたシンプルなプロポーズ
内場勝則さんといえば、舞台上では「アホぼん」キャラで元気いっぱいにはしゃぐ姿が印象的ですよね。でも、プライベートの内場さんはまったく違います。普段は物静かで、家では本ばかり読んでいる無口な人。そんなシャイな性格の内場さんが、一体どんなプロポーズをしたのか気になりませんか。
プロポーズの場面の詳しい描写は公には語られていませんが、内場さんのプロポーズは驚くほどシンプルなものでした。ドラマチックなサプライズも、ロマンチックな演出もなし。日常の延長線上で、さらっと「結婚しよか」と伝えたといわれています。
これは内場さんの性格を知っていれば納得できる話です。舞台では「1億兆万円持ってます」なんてボケをかますキャラクターを演じていますが、実生活ではとにかく口下手。
やすえさんによると、家に帰ると部屋にこもって本を読んでいるか、お酒を飲んでいるかのどちらかだったそうです。そんな内場さんにとって、長々としたプロポーズの言葉を考えること自体がハードルの高いことだったのかもしれません。
でも、考えてみてください。入院中のお見舞いをきっかけに「この人と結婚するんやろな」と直感した内場さん。その想いは言葉で飾らなくても、十分に伝わっていたのではないでしょうか。やすえさんも、そんな飾らない内場さんの人柄に惹かれていたからこそ、シンプルな言葉を受け入れたのだと思います。
2023年に行われた芸歴40周年記念座長公演では、内場さんが舞台上でやすえさんにひざまずき、指輪をプレゼントしながら「40年、50年と僕のそばにいてください」と愛を誓う場面がありました。
このとき会見で、劇中と同じセリフを求められた内場さんは「目を見られへん」と照れていたそうです。30年以上連れ添った今でも、やすえさんの前では照れてしまう。そんな内場さんの純粋さが、夫婦円満の秘訣なのかもしれませんね。
1992年の結婚式に参列した吉本芸人と当時の反応
1992年2月11日、内場勝則さんと未知やすえさんは正式に夫婦となりました。建国記念の日という祝日に挙げられた結婚式には、吉本興業の芸人仲間たちが多数参列したといいます。
当時はバブル崩壊直後ではありましたが、関西のお笑い界では華やかな話題として受け止められました。なにしろ、吉本新喜劇の座員同士が結婚するのは当時としては非常に珍しいこと。今でこそ座員同士のカップルは6組にまで増えていますが、そのさきがけとなったのがこの2人だったのです。
内場さんはNSC1期生として、ダウンタウン、トミーズ、ハイヒールと同期。やすえさんもダウンタウンの2人とは同い年で、普段からタメ口で話すほど親しい間柄でした。結婚式には同期の芸人たちも駆けつけ、2人の門出を祝福したことでしょう。
結婚当時、内場さんは31歳、やすえさんは28歳。芸人としてはまだまだこれからという時期でしたが、すでに新喜劇の舞台では欠かせない存在になっていました。舞台では恋人役を演じることも多かった2人が本当の夫婦になったというニュースは、ファンにとっても嬉しい知らせだったに違いありません。
新婚生活はピンク色だと夢見ていたやすえさん。しかし、実際の結婚生活は想像とはまったく違うものでした。その後に訪れる「内場家100日戦争」については、次の章で詳しくお伝えしますね。
2022年には結婚30周年を迎え、なんばグランド花月で行われた芸歴40周年記念座長公演では、結婚記念も兼ねた特別な舞台が実現しました。やすえさんは会見でこう語っています。
「舞台に立ってる内場くんが好きで尊敬している。尊敬できる人を選んでよかったなって、いまでも思いますし、夫婦で共演させてもらえてることもありがたいですし……まあ、全部が好きでーす」
30年経っても「全部が好き」と言えるやすえさん。1992年のあの日、シンプルなプロポーズを受け入れた選択は、間違いなく正解だったのです。
結婚おめでとう♡♡ 内場勝則♡未知やすえ 吉本新喜劇超アツアツカップル誕生 2月11日建国記念日!!大安吉日に、チャーリー浜夫妻仲人のもと、吉本新喜劇界のプリンス&プリンセス、内場勝則と未知やすえが桜の宮・リバーサイドホテルにて、結婚式・披露宴を行いました(1992 マンスリーよしもと) pic.twitter.com/7DSWyBWXW5
— come on mineko(妖怪未猫) (@mageemineko50) February 12, 2018
舞台では恐妻家だが実は円満!「離婚」の噂を完全否定
- ・新喜劇の定番ネタ「キレ芸」と実生活のパワーバランスについて
- ・検索に出る「離婚」のサジェストキーワードの真相について
- ・阪神淡路大震災で修復された夫婦関係について
舞台の「ブチ切れ芸」と家庭内のパワーバランス
吉本新喜劇ファンなら、未知やすえさんの「キレ芸」を一度は見たことがあるのではないでしょうか。普段はおしとやかなお嬢様役や健気な娘役を演じているやすえさんが、突然キレて「脳みそストローでチューチュー吸うたろか!」と叫ぶ姿は、新喜劇の定番中の定番です。
特に夫の内場勝則さんを相手にキレるシーンは、観客を大いに沸かせます。「明るいのは舞台の中だけで家に帰ったら部屋に篭ってる」「いっつも家にいるときは、黙って本ばっか読んでる」など、明らかに実生活の出来事としか思えないエピソードをぶつけながら、内場さんをなじる場面。観客たちは2人が本当の夫婦だと知っているからこそ、そのリアルさに爆笑するのです。
共演者たちも「まるで本当の夫婦のように語ってる」「えらいリアルやなあ」と後押しし、慌てた内場さんが「さあさあこのへんで……」と話を終わらせようとする。すると共演者から「もうちょっと聞きたい」と言われる。このやりとりは、もはや様式美といえるでしょう。
では、実生活での2人のパワーバランスはどうなのでしょうか。実は、舞台上のキャラ設定と実生活は「ほぼ同じ」だといわれています。内場さんは缶ビールを1日1本とやすえさんに決められており、やすえさんの目を盗んで飲む際は、缶のプルタブを開ける音をかき消すために「くしゅっ」とくしゃみのマネをするのだとか。
このエピソードは新喜劇の舞台でも「もしもやすえが妻になったら」という設定で小籔千豊さんらが実演したことがあります。
また、「結婚前から内場さんに貯金がほとんどなかった」「結婚後もしばらくはお金がなく、やすえさんがやりくりを担っていた」とやすえさんが語っていることから、生活の実務面は比較的やすえさんが主導していた印象がうかがえます。
劇場の合間に2人で高島屋に買い物へ行き、「今晩何する?」と献立を決めてから、やすえさんだけが先に家へ戻って夕食の支度をする、というエピソードも紹介されており、「買い物までは一緒だが、実際に台所に立つのは主に妻」という役割分担が見て取れます。
ただし、内場さんがやすえさんの尻に敷かれているように見えて、実は優しく見守っているという側面もあります。やすえさん自身も「舞台に立ってる内場くんが好きで尊敬している」と語っており、お互いを認め合う関係性が築かれているのです。
検索に出る「離婚」や不仲説の真相
「内場勝則 未知やすえ」と検索すると、サジェストキーワードに「離婚」という言葉が出てくることがあります。これを見て「えっ、2人は離婚したの?」と心配になった方もいるかもしれません。でも安心してください。2人は離婚していませんし、現在も夫婦仲は極めて良好です。
では、なぜ「離婚」というキーワードが出てくるのでしょうか。その理由は、結婚から約3年後に実際に「離婚危機」があったからなんです。やすえさんはこれを「内場家100日戦争」と呼んでいます。
結婚してみると、内場さんは想像以上に無口でした。何を考えているのかわからない。飲みに行く約束があれば普通に出かけてしまう。やすえさんが夕食に鍋を用意して待っていても、先輩から誘われたら「チャーリーさんに誘われたから行ってくるわ」と電話一本で外出してしまう。そんな日々が続き、やすえさんの不満は募っていきました。
ある日、酔って帰ってきた内場さんに対してやすえさんが怒ると、普段怒らない内場さんが珍しく怒鳴り返してきたのです。さらに「泣いてすむと思うな」と追い打ちをかけられ、やすえさんは「もう出てったる!」と決意。荷物をまとめて実家に帰ってしまいました。
驚くべきことに、内場さんはその後100日間、一度も迎えに来なかったのです。職場では毎日顔を合わせるのに、家を出たことについて何も言わない。やすえさんは離婚届まで用意し、本気で離婚を決意していました。
しかし、運命は思わぬ形で2人を引き合わせます。ある日、翌日の収録で着たい冬服を取りに自宅に戻ったやすえさん。なぜかその日は実家に帰らず、自宅に泊まることにしました。内場さんは酔って帰ってきて、何も言わずに隣で寝始めました。
そして1995年1月17日の早朝、阪神淡路大震災が発生したのです。
ものすごい揺れにやすえさんが叫ぶと、その瞬間、内場さんは「大丈夫や!俺が守ったる!」と言って、やすえさんの上に覆いかぶさって守ろうとしたのです。
揺れが収まった後、内場さんに確認すると、本人はまったく覚えていませんでした。酔っていたとはいえ、とっさにやすえさんを守ろうとした。やすえさんはこれを「酔っぱらいの本能というか、酔っぱらっていても守ってくれたっていうのが、この人の本心なんやな」と受け止め、離婚を思いとどまったのです。
阪神淡路大震災がなければ、100日が200日、365日になっていたかもしれない。やすえさん自身がそう振り返っています。皮肉にも大震災という悲劇が、2人の夫婦関係を修復するきっかけとなったのでした。
現在の2人は、仕事の後に一緒にランチに行ったり、映画を観たり、デートを楽しんでいるそうです。やすえさんのインスタグラムには、仲睦まじい2人の様子が時折投稿されています。喧嘩するほど仲が良いとはまさにこのこと。お互いの不満をネタに昇華できていることこそが、円満の証拠なのかもしれませんね。
夫婦の危機は未知やすえの「間質性肺炎」!闘病を支えた内場勝則の言葉
- ・2020年に発覚した難病「間質性肺炎」の経緯と症状について
- ・入院中から退院後にかけての内場勝則さんのサポートについて
- ・闘病を通じてさらに深まった夫婦の絆について
2020年に発覚した難病「間質性肺炎」と死の恐怖
舞台で元気いっぱいにキレ芸を披露する未知やすえさん。「元気が取り柄」と自他ともに認める存在でした。しかし2020年、そんなやすえさんを突然の病魔が襲います。
きっかけは、毎年恒例のディナーショー「イミネーション」の稽古中でした。なんだか息苦しい、声が出にくい、咳も出る。いつもの体調不良とは違う違和感を覚えたやすえさんは、かかりつけの病院でレントゲンを撮ってもらいました。すると、医師から予想外の言葉が告げられます。
「肺の影が大きい。すぐに大きな病院に行ってください」
紹介状を持って大きな病院を訪れると、そこで言われたのは「即入院してください」という衝撃的な言葉でした。診断名は「間質性肺炎」。一般的な肺炎とは異なり、肺の間質(肺胞の壁や血管の周囲)に炎症が起こる疾患です。進行すると呼吸不全に陥る可能性があり、完治が難しい指定難病でもあります。
やすえさんは当時の心境をこう振り返っています。
「元気が取り柄みたいな人間がまさかそんな病気になるなんて。ただただ、そう思いました」
さらに辛かったのは、医師から「完治はしない」と告げられたことでした。今残っている肺の機能を現状維持するしかない。上岡龍太郎さんもこの病気で亡くなっており、同じ病名を聞くたびに複雑な思いになると、やすえさんは正直に語っています。
入院したのは2020年4月1日。まさにコロナ禍の真っただ中でした。世間がロックダウン状態で、劇場も閉まり、誰にも会えない。そんな中での約1ヶ月の入院生活は、精神的にも大きな負担だったことでしょう。
内場勝則の「散歩行くか」が救った夫婦の絆
妻の突然の入院に、夫の内場勝則さんはどう対応したのでしょうか。
やすえさんによると、最初は「なんでお前が入院やねん…」とオロオロしていたそうです。しかし基本的には冷静に対応し、入院までの間はやすえさんに負担をかけないように気遣ってくれました。入院中、不安にかられたやすえさんが夜中に電話をかけても、内場さんは静かに話を聞いてくれたといいます。
4月28日に退院したやすえさんでしたが、その後の生活は想像以上に大変でした。入院中は病院内を1日2〜3回、1時間ほどウォーキングして足腰を鍛えていたにもかかわらず、自宅に戻ると1階から2階に上がるだけで息切れがする。筋肉もかなり落ちていて、自転車を漕いでも止まりそうなほどのスピード。近所のおばあちゃんに抜かれていくこともあったそうです。
そんなやすえさんを見て、内場さんは行動で支えました。
「散歩行くか?」「どっか行こか?」
普段は無口な内場さんが、やすえさんをよく外に誘い出すようになったのです。自転車で止まりそうなほどゆっくり漕ぐやすえさんの後ろを、内場さんがずっと走ってついてきてくれた。ウォーキングも一緒に行ってくれた。
やすえさんは間質性肺炎によって免疫力が低下しており、コロナに感染するリスクが高い状態でした。誰にも会えない中で、内場さんがずっとそばにいてくれたことが本当にありがたかったと、やすえさんは語っています。
コロナ禍で外出もままならない時期、2人は自宅のベランダに敷物を敷いて、近所で買ってきたお弁当を一緒に食べたりもしたそうです。病気になる前は、同じ職場ということもあり、プライベートで一緒に行動することはほとんどなかった2人。皮肉にも病気とコロナ禍が、夫婦で過ごす時間を増やすきっかけになったのです。
やすえさんはインタビューでこう述べています。
「いろいろなことがあったけど、あらためて主人の存在って大きいと思えた」
さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」という言葉が頭の中でグルグル回り、生きていることのありがたさを実感したというやすえさん。同じ病気で亡くなった方もたくさんいる中で、自分が生かされていることへの感謝の気持ちが芽生えたそうです。
現在、やすえさんは症状が落ち着き、舞台やテレビで元気に活躍しています。完治はしないものの、今残っている肺の機能を維持しながら、病気と付き合っていく覚悟を決めています。
2人は最近、夫婦でジムにも入会したそうです。内場さんは「長く舞台で現役を続けるには筋力が不可欠」という理由で、やすえさんは趣味のゴルフの飛距離を伸ばすため。それぞれの目標は違いますが、一緒に体力づくりに励んでいるのは微笑ましいですね。
内場勝則と未知やすえの娘「早月」さんの現在は一般人
- ・一人娘の名前や生まれた年、現在の年齢について
- ・芸能界に入らず一般人として生活していることについて
- ・娘に対する内場さんの「激甘パパ」ぶりについて
娘は芸能界入りしていない!現在の年齢と生活
内場勝則さんと未知やすえさんの間には、一人娘がいます。彼女は一般人として生活しているため、公的なプロフィールやインタビューで明言された情報はないものの、名前は「早香(はやか)」さん、1995年に誕生したとされており、2025年現在は30歳前後になっていると見られます。
両親がともに吉本新喜劇の人気座員ということで、「娘さんも芸能界に入っているのでは?」と気になる方も多いでしょう。しかし、早香さんは芸能活動をしておらず、一般人として生活しています。親の七光りを使わずに自立した道を歩んでいるのです。
実は、ネット上では「未知やすえの娘がNMB48のメンバーでは?」という噂が流れたことがありました。これは完全な誤解で、吉本新喜劇の舞台で内場さんの娘役を演じたNMB48のメンバーを、本当の娘だと勘違いした人がいたことから広まった噂のようです。
また、やすえさんがCMで若い女性と共演した際にも「娘では?」と話題になりましたが、こちらも新喜劇の後輩女優・金原早苗さんであり、実の娘さんではありませんでした。
早香さんは一般人のため、顔写真は公開されていません。ただ、近所の方の話によると、色白で可愛らしく、性格はまじめで優しいとのこと。近所の人たちにも気さくに声をかける姿が目撃されているそうです。内場さんのきれいな鼻筋と、やすえさんのパッチリした目、そして色白の肌を受け継いでいるとすれば、きっと美人さんに違いありませんね。
学歴については公式な情報は少なく、桃山学院高校か帝塚山高校ではないかという噂がある程度です。大学については大阪市内の私立大学に通っていたという情報もありますが、詳細は不明です。結婚しているかどうかも公表されていませんが、30歳前後という年齢を考えると、結婚している可能性もあるかもしれません。
娘には激甘?内場パパの意外な素顔
舞台ではやすえさんにキレられてタジタジになる内場さんですが、娘の早香さんに対してはどうなのでしょうか。実は、内場さんは典型的な「娘に激甘なパパ」だったようです。
やすえさんによると、娘が生まれてから内場さんは「すっかり変わった」そうです。子どもが生まれたことで親としての自覚が芽生え、妻に対する態度にも変化が見られたといいます。特に印象的なのは、やすえさんに対して「無理だったらなにもしなくていい」という言葉をかけたこと。この一言で、育児に奮闘していたやすえさんはすごく気が楽になったそうです。
ただ、娘さんとの関係は常に順風満帆だったわけではありません。思春期の頃、早香さんは両親が吉本新喜劇の役者であることに複雑な感情を抱いていた時期もあったようです。学校での友人関係や世間からの見られ方を気にする多感な時期に、母親がテレビで突然キレるようなコミカルなキャラを演じていれば、恥ずかしさを感じるのも自然なことでしょう。
しかし、転機が訪れたのは早香さんが18歳の頃でした。初めて両親の舞台を観に行った早香さんは、終演後に父・内場さんにこう声をかけたのです。
「お父さん、感動した」
この言葉を聞いて、普段は口数の少ない内場さんが涙を流したといいます。この出来事は母・やすえさんの耳にも届き、両親ともに感激して涙を流したそうです。思春期には理解できなかった両親の仕事の素晴らしさに、大人になって気づいた早香さん。それ以来、早香さんは頻繁に新喜劇を観に行くようになり、親子関係は非常に良好なものになっています。
家庭内では、やすえさんと娘の早香さんが結託して、内場さんがタジタジになっている場面もあるのかもしれません。舞台では「恐妻家」として知られる内場さんですが、家では妻と娘という女性2人に囲まれて、幸せそうに過ごしている姿が目に浮かびますね。
内場さんは自身のインスタグラムに、顔は隠しているものの娘さんを登場させることもあるそうです。本当は顔も見せたいという親心があるのかもしれません。芸能界には入らなかった早香さんですが、両親の愛情をたっぷり受けて育った一人娘として、今も内場家を明るくしている存在なのでしょう。
まとめ:内場勝則と未知やすえは喧嘩するほど仲が良い「最高のパートナー」
- 二人の出会いは吉本新喜劇。内場勝則の「入院」中に未知やすえが毎日見舞ったことが馴れ初め
- 1992年に結婚。プロポーズは内場らしい飾らない一言「結婚しよか」だった
- 舞台上では「恐妻家と鬼嫁」だが、実生活はお互いを尊重し合うおしどり夫婦
- 検索される「離婚」の噂は完全なデマであり、現在も夫婦仲は極めて良好
- 2020年に未知やすえが難病「間質性肺炎」を患うも、内場が静かに支え続けた
- 闘病中に内場がかけた「散歩行くか」という言葉が、夫婦の絆を再確認させた
- 一人娘の「早香」さんは芸能界入りしておらず、一般人として自立している
- 家庭内での内場は「娘に激甘なパパ」であり、やすえ・娘と共に仲良く暮らしている
- 「私が喋って、彼が聞き流す」という絶妙なバランスが長続きの秘訣
- これからも吉本新喜劇の看板夫婦として、私たちに笑いと愛を届けてくれるだろう

